0~20=21~80

先日、いきなりぎっくり腰になりました。

過去に一度なったことがありましたので、セカンド・ギックリです。

 

ファースト・ギックリは大学の時でした。

友達と

「学校のベンチを持って帰ろう」

ということになり、二人で持ち上げようとした瞬間のギックリでした。 ビックリでした。

最近、その友達と会いまして、

「実は俺まったく力入れてなかったんだ。洋平の顔が真っ青になっていくのをみたら、

言えなかった。」

と言われました。

ベンチは地面と固く固定せれていたし、

友達は持ち上げていなかったし、

ぎっくり腰になるし

というぎっくり腰評価委員会では最低ランクと評価されるであろうギックリスタートをきりました。

 

少し話が逸れますが、

その友達(彼)の弾くピアノは、音楽は、なんというか過去の切なさの塊というか、

僕はとても好きです。

僕はギターしか分かりませんが、自分よりうまい人は沢山います。

上を見たら、首が痛くなる感じだと思います。

野心はありますし、コンチクショウーと思いますが、

ただ、言えることは、そんなことは音楽をやめる理由にはならない。

 

よりうまくなることは大切だと思いますが、なんでうまくなりたいかが重要というか。

そこから音楽を望みたいというか。

 

例えば音楽を言葉とした時、

聴き取りやすく、話し方の上手なアナウンサーが話す戦争の体験談と

実際に戦争を体験した終始かみかみのおじいちゃんが話す戦争の体験談。

 

どちらのが心に届くか。

 

「戦争を体験したアナウンサーが一番伝わる」とかいうある意味斬新なことも浮かびますが、

僕は後者だと信じたい。

話す技術はとてつもなく重要だと思いますし、

何かを伝える人の義務でもあると思います。

けど、それらを超える何かが重要というか。

 

 

   

友達の彼よりピアノがうまい人は沢山います。

大学卒業と同時に彼よりうまい人達の多くは、音楽をやめました。

ここでのやめるは、

きっぱりピアノをやめると

プロを目指すのをやめる

の二種類あると思います。

 

でも

「みんなうまいなぁ~」が口癖の彼は辞めなかった。

家の都合で一緒に音楽ができなくなって、

休みがほとんどない今でも彼はピアノをやめてません。

むしろ、より求めているというか、少年のままというか。

どちらが偉いとか賢いとかそんな話ではないのですが、

彼がピアノを続けていることは、僕の支えでもあります。

 

 

話を戻しますが、セカンド・ギックリは何もしていないのにいきなり訪れました。

腰を90度曲げないと、激痛がはしる状態でしたが、仕事を休むわけにはいかないので、

三角定規みたいな感じで頑張りました。

そこであることに気が付きました。

 

僕は普段、鼻で呼吸します。

しかし、セカンド・ギックリの時は、なぜか口呼吸でした。

 

このことに気が付いた時、今までの色々な点がいっきに繋がりました。

 

なぜ、楽器を弾くときに姿勢が大切なのか

なぜ、管楽器ではないギターにも呼吸が必要なのか

など自分の中にあったものがキレイに1つになりました。

 

と同時に

どんなことがあっても、何か意味がある。

それをキャッチできるかは、自分次第なのかなとか思いました。

 

でも実際、本当に辛いことに遭遇したときは、キャッチどころではないんだろうなぁ~

 

あ、題名の

0~20=21~80

なのですが、ピアノの友達からあることを聞いて「うぁ~~」と思った数字です。

色々端折りますが、年をとる程1年があっという間に感じる現象には、

ちゃんとした根拠があるらしく

それを計算すると

 

生まれてから20歳までに感じた体感時間と21歳~80歳で感じる体感時間が同じ!!

 

というコワイ話です。