23日の為に

お久しぶりです。

 

「お久しぶり」といえば、

 

この間、街中で偶然友達と会いまして、というか目が合いまして

どっちからでもなく

「おっ、お、お~久しぶり!」となりました。

 

その友達は知っているけど、そんなに仲良くなかったし、

10年くらい会ってない人です。

 

彼は

「おっ、お、お~久しぶり!」とほぼ同時に

ラッパーの方がよくやる 手での挨拶(右手で引っ張ったり、握手したり、なんやかんやするやつ)を繰り出してきました。

 

もぉ~されるがままといいますか、旅行先でやる「○○体験」みたいに身を委ねました。

 

そのコンボのあと「facebookやってるでしょ? 今度呑みに行こう」

と彼は言い、わずか5秒くらいでバイバイ。(いや、この場合はBey Beyだ!)

 

俺はツイッターもfacebookもやってないし、連絡先も知らないのだけれど・・・、

 

などは言えるわけもなく。

 

でも、もはやそんなことはどうでもいいと思えるくらいの完璧なラッパー挨拶エスコートでした。

 

社交ダンスをかなり上手い人と踊っているかんじというか、ある意味優雅というか。

 

勉強になった。勢いのあるものにはエネルギーがある。

 

そんな勢いのあるエネルギッシュな彼とは逆に、

私は

俺の右手の爪かなり長いし鋭いし、痛くなかったかな? 

とか

てか、爪大丈夫かな、割れてないかな 

とか

なんとも女々しい感じでした。

 

そんな感じで日々 自分には負けてたまるか と頑張っております。

 

 

色々の事があり、それはすぐ過去になり、その時の想いは薄くなり、

 

なんかたくましいというか切ないというか。

 

きっと生きてく上で必要な人間の適応能力なんだろうなぁ。

 

でも音楽や声、匂いはいきなりその過去の想いをフラッシュバックさせる。

いい意味でも、悪い意味でも。その感じが人間らしくて凄く好きです。

 

そんな中、最近思ったことがあります。

 

誰かを幸せにしたいと思った時、

まずは自分が幸せにならないと、

誰かに幸せは与えられない。

 

と前までは思っていました。

 

けど、最近なんか考えが変わりました。

 

というか

何かを成し遂げたい時、その真逆の事を成し遂げる

という考え方は変わっていないのですが、視点が変わりました。

 

自我を捨てて誰かの幸せを望む。これが自分の幸せに繋がる。

 

目的が誰かの幸せという点は変わらないけど、プロセスが確実に違う。

 

自分の幸せ=誰かの幸せ ならば

 

自分の幸せを成し遂げる為に、その逆の 誰かの幸せ を成し遂げる。

それには、目的の自分の幸せ、自我を捨てる。

 

なんかエンドレスになりそうな感じですが、個人的にとてもシックリきてます。

 

そんなお坊さんみたいなことは難しいけれども、音楽ならできる。

上手くみせよう とか オラオラ凄いだろ とか 感動するだろ とかではなく

自我を捨て、聴いてくれる人のことだけを考える。

   

 

 

最近大切な人がなくなり、その人の遺影の前でギターを弾きました。

 

その人が好きだった曲を。

 

その曲を弾いた途端、ある男性は泣きました。

 

彼はお葬式でも出棺の時でも泣いていませんでした。

むしろ笑顔を周りに与えていました。

 

きっと奥に仕舞い込んだモノがいきなり飛び出したのだと思います。

音楽の在り方は色々あるのだろうけれども、

確実にこれも音楽の在り方というか役目というか力というか。

 

そして、この瞬間、

上手く弾こうだとか、テクニックがどうこうとかは、どうでもいいということ。

(上手く弾けることに越したことはありませんが)

 

そんなこんなで、

一人前になったら連絡すると約束した尊敬しているギターテックの方に早く連絡できるように、とりあえずガンバリマス。

 

全然関係ないのですが、さっき友達に

 

「12月22日に世界が終わるらしいのだけれども、23日の為に音楽やらない?」

 

とメールしました。意味ありそうで全く意味のないパターンのやつです。

 

そしたら友達は

 

「滅んじまえ、滅んじまえ! やろー」

 

と返してきました。

 

なんか凄くイイ!!!