動物園が逆だったら。
想像しただけで、堪らない。
沢山の正しさがあり、
それらは同時に沢山の矛盾を抱えながら、
正しさを主張する。
客観視などは存在せず、常に主観の中に客観はある。
私の主観。
私たちの主観。
国の主観。
世界の主観。
地球の主観。
宇宙の主観。
矛盾はある主観の正さの上で成り立ち、正さが違えば矛盾も違う。
小学生の時あった道徳の授業。
当時は、なぜやるのか意味が分からなかった。
楽な授業でラッキーといった感じ。
今では他のどんな授業より大切だと思ってる。
けど、誰かに教えてもらうような
いわば、
洗脳のようなものではけしてない。
誰かの意見に賛同し、歩くことは容易。
これは自分の意見ではなく誰かの意見。
正面から押し寄せる人混みに向かうとき、
前にいる誰かが歩いた道を歩く時のように、容易であり、何の意思もない。
意思の着ぐるみをきた無意思。
自分が自分に対し
シュプレヒコールをし続ける。
これが
人が人を志すことだと僕は思います。
関係ないけど、
哀しいことや嬉しいことがあった時、
心はどこにあるのか分かる。
ギターを弾く時も同じような現象が起き、
心の場所、居場所はわかる。
自分の場合は
人間県 肋骨町 下の上の奥
って住所っぽい。
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